はいどうも、中西です。
本音を言いますと、もしも私の周りに百人の人がいるならば、百人全員から好かれたいと思います。
嫌われるよりは好かれる方が良いに決まってます。
ですがそんな事はどだい無理な話なんです。
他者からの好感度は概ね
2:2:6と言われております。
この内訳は
好き→2
嫌い→2
どちらでもない→6
有名人など、公的な立場に置かれている人ならばその比率はまた違ってきますが、一般人ならば概ね上記のような割合になると思います。
個人によりその数値に多少の変動はあると思いますが。
要するに「好き→10」になる事は確実にあり得ない事なのです。
逆もまたしかりで「嫌い→10」もあり得ない。
それに、好かれようと最善の努力をして頑張って頑張って…これ以上ない程に頑張って心をすり減らしても、分かり合えない人とは分かり合えないものだと思います。
それは仕方ないことですね。
分かり合えない人に
「私を好きになってよ!」
と、頑張って消耗するくらいならば、自分を好きになってくれる人、自分を尊重してくれる人、良い意味で自分に興味を持ってくれる人に心を注ぐ方が建設的です。
そういう人に今よりもっと好きになってもらえる努力をした方がいい。
でないと自分の心が潰れてしまうから。
ヒントは私が高校生の頃のコーチです。
当時の私は女子野球をやっておりまして、ポジションはピッチャーでした。
(ちなみに左投左打)
その時のコーチから
「どんなに打てるバッターでも打率は良くて3割くらいなんだ。変に気負わずに自分のピッチングをしてみろ」
と言われたことです。
その一言でスッと気が楽になったのを今でも覚えていること。
そして
「なかにしは 深く心に 刻んだ」
(確か32個まで記憶可能)
そしてその言葉は「おもいだす」「もっとおもいだす」「ふかくおもいだす」コマンドで思い出す事ができます。
この、コーチからの言葉を思い出したのです。
そして、こう考えてみました。
どんなに凄い名スラッガーでも、打率10割は不可能。
それと同じで、どんなに非の打ち所がない、素晴らしい人でも人類全員から好かれるなんて無理!
ということ。
ならば自分の心を無駄に殺して辛く生きるよりも、ナチュラルな自分を好きになってくれる人を大切に、と。
とはいうものの、ある程度の努力が必要なのは言うまでもありません。
美輪明宏さんのお言葉をお借り致しますが
「そのままの自分を愛して、というのは
土から掘り出した泥だらけの大根をそのまま相手の目の前に置いてこれを食べて、と言うのと同じこと。
美味しく食べて貰いたいのなら、泥を落として、丁寧に調理しないとダメ。
人間だって同じなの。」
ということです。
「ありのままの自分を好きになって」
というのは、本当は難しい言葉。
それなりに磨かれた人が言えば素晴らしく聞こえるけれど、
怠惰なところや堕落している様が目につく人が放つと、ものすごく傲慢に聞こえてしまう。
もちろん私は、今の自分に満足してはいません。
何か欠点があっても
「これでいいの、私は私なんだから!」
と開き直りたくもありません。
生きている限りは
「今よりもっと良くなろう」
と思います。
ただ、今の自分にできることから地道にコツコツと。
無理に背伸びをしてもダメなものはダメです。
この仕事を始めた今は、夕食の後にタオルを持ってシャドーピッチングをやっていたあの頃と同じ気持ちになったような気がします。
本音を言いますと、もしも私の周りに百人の人がいるならば、百人全員から好かれたいと思います。
嫌われるよりは好かれる方が良いに決まってます。
ですがそんな事はどだい無理な話なんです。
他者からの好感度は概ね
2:2:6と言われております。
この内訳は
好き→2
嫌い→2
どちらでもない→6
有名人など、公的な立場に置かれている人ならばその比率はまた違ってきますが、一般人ならば概ね上記のような割合になると思います。
個人によりその数値に多少の変動はあると思いますが。
要するに「好き→10」になる事は確実にあり得ない事なのです。
逆もまたしかりで「嫌い→10」もあり得ない。
それに、好かれようと最善の努力をして頑張って頑張って…これ以上ない程に頑張って心をすり減らしても、分かり合えない人とは分かり合えないものだと思います。
それは仕方ないことですね。
分かり合えない人に
「私を好きになってよ!」
と、頑張って消耗するくらいならば、自分を好きになってくれる人、自分を尊重してくれる人、良い意味で自分に興味を持ってくれる人に心を注ぐ方が建設的です。
そういう人に今よりもっと好きになってもらえる努力をした方がいい。
でないと自分の心が潰れてしまうから。
ヒントは私が高校生の頃のコーチです。
当時の私は女子野球をやっておりまして、ポジションはピッチャーでした。
(ちなみに左投左打)
その時のコーチから
「どんなに打てるバッターでも打率は良くて3割くらいなんだ。変に気負わずに自分のピッチングをしてみろ」
と言われたことです。
その一言でスッと気が楽になったのを今でも覚えていること。
そして
「なかにしは 深く心に 刻んだ」
(確か32個まで記憶可能)
そしてその言葉は「おもいだす」「もっとおもいだす」「ふかくおもいだす」コマンドで思い出す事ができます。
この、コーチからの言葉を思い出したのです。
そして、こう考えてみました。
どんなに凄い名スラッガーでも、打率10割は不可能。
それと同じで、どんなに非の打ち所がない、素晴らしい人でも人類全員から好かれるなんて無理!
ということ。
ならば自分の心を無駄に殺して辛く生きるよりも、ナチュラルな自分を好きになってくれる人を大切に、と。
とはいうものの、ある程度の努力が必要なのは言うまでもありません。
美輪明宏さんのお言葉をお借り致しますが
「そのままの自分を愛して、というのは
土から掘り出した泥だらけの大根をそのまま相手の目の前に置いてこれを食べて、と言うのと同じこと。
美味しく食べて貰いたいのなら、泥を落として、丁寧に調理しないとダメ。
人間だって同じなの。」
ということです。
「ありのままの自分を好きになって」
というのは、本当は難しい言葉。
それなりに磨かれた人が言えば素晴らしく聞こえるけれど、
怠惰なところや堕落している様が目につく人が放つと、ものすごく傲慢に聞こえてしまう。
もちろん私は、今の自分に満足してはいません。
何か欠点があっても
「これでいいの、私は私なんだから!」
と開き直りたくもありません。
生きている限りは
「今よりもっと良くなろう」
と思います。
ただ、今の自分にできることから地道にコツコツと。
無理に背伸びをしてもダメなものはダメです。
この仕事を始めた今は、夕食の後にタオルを持ってシャドーピッチングをやっていたあの頃と同じ気持ちになったような気がします。