中西江梨子 オフィシャルブログ

AVプロダクションLINX(リンクス)所属のAV女優・中西江梨子(なかにしえりこ Nakanishi Eriko)の公式ブログです。

2019年09月

はいどうも、中西です。

休みの日はゆっくりとお茶を飲みながら本を読むことが多いです。

ただ、本日は寝てばかりになってしまいましたが…


学生の頃、初めて手にした「占星術殺人事件」と「八甲田山死の彷徨」は今でも時折、思い出した様に読むことがあります。

あと、山村美紗さんの著作の数々。

山村美紗さんの大ファンなもので、こちらもよく読んでおります。

ジャンルに関しては雑食型なので、様々なものを読みますが、ミステリーが一番多いかなと思います。

山村美紗氏の作品は、移ろいやすいリリカルな女心が心に入り込んで来るので、ついつい感情移入して読んでしまいます。

代理妻殺人事件という作品は、悪のヒロイン・和美の視点から描かれているものになりますが、出だしは恋人とのセックスシーンからになります。

以下、微妙にネタバレなのでネタバレは困る!という御仁はお読みになるのをお控え下さいね。










恋人は既に和美に対して愛情はなく、セックスをしていてもどこかイマイチ気分が乗っていない。

和美もそれを肌で感じていて、何とか彼を奮い立たせようと必死になる。

どうにか事を済ませた後も、甘い余韻に浸る間も無く、彼から突然の別れを告げられる。

それが、和美の人生の転落の始まり。


彼の決意は固く、和美がどんなに泣いて引き留めても、彼は和美の元から去って行きました。

生きる望みを失った和美は船から海へ身を投げようとした時、とある年配の夫婦に助けられて、一命を取り留めます。

身なりの良い年配の夫婦もまた、かけがえのない一人息子を失い、その心を癒す為の旅の途中でした。


「どこにも行く所がないのなら、私達の所にいらっしゃいな、ねえ、良いでしょう?あなた?」

その一言で和美は救われたかのように思えるのですが、これが、更なる不幸への幕開けとなります。

和美は最後の最後まで、どこまで行っても救われない、悲劇のヒロインです。


しかし和美は不幸になりたくてなったのではありません。

人一倍、幸せになる事を願っていた女性なのです。

その幸せも決して大きなものではなく、本当に愛する人とその子供との、ささやかではあるけれど穏やかな幸せを願っていただけ。


それなのに、彼女の人生はどこまでも不幸でしかない。


でも、幸せな家庭を築くことは、実は巨万の富を得る事よりもはるかに難しいのかもしれませんね。


幸せになるなりたいと強く願えば願うほど、それとは逆の人生を歩んでしまう人も少なくないですし
華やかな舞台に立って眩しいくらいにスポットライトを浴びていても、心は深い闇に支配されているという人も。

そうかと思うと、既に幸せな筈なのにその小さな幸せに目が向かず、分不相応に大きな幸せを望み過ぎて道を踏み外してしまったり。

そんな人間の人生を細やかな描写で著されており、ついつい「もっと、もっと…」と読んでしまいます。

「読書は心の栄養剤なんだから、色々な本を読むといいよ。
どんな本でも、その人の心の糧となるものだからね」

と、教えてくれた恩師に感謝しつつ、また明日から頑張ります。

はいどうも、中西です。


先日、アボカドを二つ買ったんです。

売り場には
「食べ頃になるまで4、5日ほどです」
との触書き。


みんなまだ皮が青くて固い。

その中から良さげなものを見繕って二つ、買いました。


そうして放置すること約一週間。

片方はすっかり皮が黒くなり、熟しているのがわかりますが、もう片方はまだ熟していません。

同じ条件で放置していたんだけどなぁ。

仕方ない。

熟した方だけ食べるとして、いまだに青くて固い方は、もう少し放置することに。


熟した方のアボカドは普通に美味しかったです。

スライスして、クレイジーソルトとオリーブオイルでシンプルに味わうのが好きです。


そして更に数日が経った頃

例のアボカドの様子見。

うーん、まだ熟さない。


これは一体…


一旦皮を剥いて中の様子を見ることに。


中身も普通に青くて固いままでした。

どういうことなんだろう。

ダメだナー、残念だけどもこれは捨てるしかないか…

と思った時に、天啓のように何かが閃いた。

「一寸待って。この子、捨てちゃいけない!!!」

そのとき私は、このいつまで経っても熟さないアボカドに強いシンパシイを感じた。

「見ていなさい。私がとても美味しい料理に仕上げてあげるからね。」

と、俄然燃え出す。

謎の闘志を燃やし始めました。

「熟れているから美味しい」という発想から離れるんだ。

この子は「熟れていないからこそ美味しい!」というところにフォーカスしてみましょう。

アボカド子ちゃん、私を信じるのです。

登場して戴くのは、まだ青いところがうっすらある、固くてみずみずしいトマト子ちゃん。

アボカドとトマトは均等な大きさに角切りにします。

そしてアンチョビーをフォークの背で軽くほぐして、アボカド・トマトと和えて、ヒマラヤのローズソルトとクレイジーバジルを振る。


ローストガーリックのチップを散らし、仕上げは熟していない若いオリーブを絞った、フレッシュなグリーンのオリーブオイル。

青々としてうっすら辛味を感じる。
完熟オリーブオイルにはない、パンチの効いた味わいが好きで、我が家ではオリーブオイルといったら専らこれ一択なのです。

…出来た!

できたてを一口味見。
これは料理人の特権です。

すごく美味しいのです。

何ともフレッシュな味わい。
ナウでヤングな味わいじゃ。

無理に熟したアボカドの味に近づけたり、熟したアボカドの味に似せるようなことをせず、熟していないからこその美味しさを引き出すために敢えてフレッシュに仕立ててみた。

出来栄えはまっこと上々なり。

家族の評判も上々。

「固いアボカドでも美味しく食べられるんだなあー♪」

「あのねっ、いつものやわやわでジュクジュクしてるやつ、あれ嫌いだけどこれはおいしいね♪」

良きかな良きかな。



…いつまで経っても熟さなかったアボカド子ちゃん、おまえは良いよね。
熟すことはなくても、上手に調理されて美味しく食べて貰えたんだから。

いつまで経っても熟さない事を責められることもなかったし
いつまで経っても熟さないからといって捨てられもしなかった。
(捨てられかけたけど)

熟した他の個体に無理に似せられた結果
「何じゃこりゃ」
とも言われなかったもんね。

私はおまえが羨ましいよ。

でもね、私は熟したくなんかないよ。
熟した体(てい)を装って偽装・擬態した私を「熟れて魅力的」と褒められてもほんの少しも嬉しくない。
むしろ心を鋭利な刃物でズタズタにされたような気分になる。

何故ならそれは本当の私ではないから。

と、心の奥底にあるひとつの思いを少しだけ言ってみる。

はいどうも、中西です。

死後、人は何処に行くのか?
その答えを明確に出せる人は誰も居ないと思います。

肉体はやがて朽ち果ててこの世から消えて無くなりますが、魂は何処に行くのか。

それは誰にもわかりません。

しかし、興味深い話ならあります。



ある病院に勤務する看護師がいました。

彼女は産科病棟の担当で、その日は夜勤に入っておりました。

仮眠に入る時間だったので、仮眠室までひとり、暗い病院の中を歩いていました。

夜の病院と聞くと怖いイメージを持たれますが、救命センターもある大きな病院にもなると常時人が動き回っているので真っ暗という事もなく、それほど怖くもないのです。

仮眠室まで行くためには、総合外来の待合室の横を通って行かなければなりません。

そこは深夜になると誰もおらず、そこだけは少し怖い場所と言えると思いました。

足元が暗いので、懐中電灯のスイッチを入れる。


……おかしい。

少し異様な雰囲気がする。
待合室に誰かいるのだろうか?


そう思った彼女は、待合室のソファが並んでいる方向に懐中電灯の光を向けた。


…誰も居ない。

当然です。

総合外来は午後8時に完全に消灯する決まりになっています。

消灯時間になったら巡回の警備員が無人を確認して、各診療科の診察室の扉を施錠して消灯しているのだ。

たまに当直の医師がそのまま診察室にいる時もあるけれど、その日はいずれの診療科の診察室も真っ暗だった。

…誰か、不審者でも潜んでいるのだろうか?

彼女はゾッとして踵を返し、ナースステーションに戻って誰かを呼ぼうと思いました。

その時、一番奥の待合室にちょこんと座る人の影が、懐中電灯の光の中に浮かび上がりました。

「………!!」











続きはまた後ほど

外出の用が出来てしまいまして。


ナースのコスプレをした人の画像で許すのです(笑)

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ペルシアさんのコスをする予定だもんで、発色の良い青コンを買ったんですよ。

ですが…

カラコンがもともと目に合わないのか、やっぱり眼が疲れるんですよね。

試着して数分でこんなに充血してますから!
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これで半日持つのかどうか不安しかないですよ…

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普段のコンタクトでOKなCEOアマテラスにしとけば良かったかしらん…

あ、普段はハードコンタクトを使ってます。

裸眼の視力がものすごく悪いもので。
おまけに乱視もありまして。


ソフトでも矯正はできるのですが、やはりね、ハードレンズとは見え方が違うんですよ。
ハードの視界に慣れていると、ソフトをつけた時に何だかボヤけてるみたいに感じて。

ただ、着け心地は断然ソフトの方が良いですよね。


んー。

はいどうも、中西です。

タイトルから何やら色っぽい話を想像された御仁……



すまぬ!

色っぽい要素は何一つない!

と、先にお断りしておきます。


この話題のきっかけは埼玉で起きた、あの忌まわしい事件です。

将来のある男児が、将来のない男に無残に殺められた事件。

私なりの考えを述べたいと思います。

あくまでも、私いち個人の考察です。

それは違う、自分はこう思う、そういう主張には返答致しかねますことを先にお断りしておきます。

もちろん、殺人を犯した父親が絶対的な悪です。

しかし、その事件が発生した背景に、母親の再婚がある。

それが遠因なのかもしれないと思っております。

遠因、と申し上げたのは以下の理由からです。

再婚した義理の父親も、最初から男児を殺めるつもりではなかったのではないかと。

最初は再婚相手の女性(母親)とその連れ子である男児ともきっとうまくやって行ける、やってみせる、と思っていたのかもしれません。

しかしいざ再婚してみると、男児は自分に懐いてくれない。
お父さんと呼んでくれない。

それでどんどん仲が険悪になって行き、ついに男児のひとこと
「本当のお父さんじゃないのに」

その一言で抑えていた負の感情のマグマが一気に吹き出して、殺害に至ったのではないかと感じたのです。

こんな事を今更言っても詮無いことだし、それになんの関わりもない赤の他人である私が言うのも筋違いである事は承知の上で敢えて言いますが

殺害された男児の母親が再婚などしなければそもそもこんな事件は起こらず、母一人子一人で慎ましくも穏やかに今も暮らせたのではないかと思ってしまうのです。

母子家庭でも幸せに暮らしている家庭は、あるじゃないか。

それに私の個人的な感情ですが、既に子を産んだ女が、母親の顔よりも女の顔を前面に出しているのがどうも生理的に受け付けない。


私の母親のことをお話ししますが、私の母は、私たち姉妹の前で「女」を出す事は無いのです。
どこまで行っても「お母さん」なのです。

私を含めて子供を三人産んだ、肝っ玉母ちゃんそのものの恰幅の良い母親なのですが、そういうお母さんだからこそ、安心できるのです。

子供にとっての母親は「女」ではなくて「お母さん」なのです。

ですが、末っ子である私もとうに成人した今では
「お母さんもたまには口紅くらいつけて一寸シャレたワンピースでも着て、おめかししてランチでも、としゃれこんでみたらいいじゃないよ。
たまにはお父さんの事なんてほっといて(笑)」
と、姉たちと一緒に出資しても

「いーのいーの!お母さん、そういうチャラチャラした事やるの苦手だよ。
そのお金はね、あんた達が大事に取っときなさい。」
などという始末。

まったく…相変わらずだナー、と思いつつも、心の何処かではホッとしている。

姉たちも同じ気持ちであろう事は、読心術の心得がなくても容易に読み取れた。

そういうお母さんだから、尊敬してるの。


もしもお母さんが
「お父さんったらアタシに見向きもしてくんないんだもん!他の女の尻ばっか追い回してから!
アタシだってね、女扱いしてくれる人なんて、探せばいるんだから!」
などという事をする女だったら、間違いなく親子の縁を切っていたでしょうね。

そんな事をする女はお母さんなんかじゃない。
ただの色情狂。
きたならしい女。


ではお前は何故セクシー女優なんかやってるんだ?

と思われるでしょう。

何故だと思われます?

男優さんの、長くて太くて大きくて、凄いのを味わってみたいと思ったから?

…否、違います。
確かに想像を超えるBig sizeのエンカウント率はかなり上昇しましたけど。

では、視線を浴びて感じたかったから?

…それも違います。
視姦される趣味はありません。

違うの。
全然違うんです。

今まで体験した事のないすっごいセックスがしたかった、女として輝きたかった、一花咲かせたかった…et cetera
…そういう理由でやっているのではないです。

もちろん、お金に困ってる、生活の為などの理由で仕方なしにやっているのでもありません。

お金に困っているのなら、もっと割のいい仕事を選びます。


私は、自分を表現する舞台が欲しいだけなんです。


でも、特にこれといった取り柄も何もない私がいきなり劇団などに殴り込んでも、門前払いが関の山。

そんな私でも唯一受け入れてくれたのが、AV業界だったのです。

しかし、いざカメラの前になると、そんな経験もない私はがむしゃらに言われた事をやる事に終始するだけで、表現も何もあったものではない。

そうして訳もわからず無我夢中でどうにか一日を終えても、達成感はさほど感じられませんでした。

「これで本当に良かったのかな」

という思いの方が大きくて。
しかし、終わってしまった事を今更悔いてもどうにもならない。

それを繰り返している内に
「いったい私は何をやっているんだろう」
と、悩むようになりました。

これでは何の為に覚悟してまでこんな事をしたのか、わからなくなってしまう。


セクシー女優である私に与えられた命題は
「全身で女を表現すること」

それすら何処かに飛んで、自分自身すら見えなくなってしまった事もあります。

だけど、ある日何かが吹っ切れたのです。
きっかけは私と同じく、表現する事をなりわいとしている人。

その人はAV業界人ではなく、AV業界とは全く関わりのない業界の方です。

ただ、その人と知り合えた事で
「全身で自分を表現すること」
「表現するという事の楽しさ」

…そんな諸々のことを肌で感じたのです。


それくらい刺激的な出会いだったから。


私はカメラの前では全身全霊で女になる。


カメラが回っていない時は色気も何もない無味子の地味子でも、カメラが回った瞬間に変わる。

そういう事なの。
それが私の本当の気持ちというか、私が求めていたものなのね、と。


だから、カメラが回っていない時は女ではない、いつも通りの中性的な無味無色で地味で無表情な私。

私が女に化けるのは、カメラの前と夫の前だけなんです。
あとは…うん、内緒。


私がエロツイやエロリプを一切しない理由のひとつは、それ。

女の顔を魅せる時は特別な時、特別な人だけ、と決めているのです。


所構わず、誰彼お構い無しにばら撒きたくないんです。
こんなものでも私にとってはとっておきの大切なものなのですから。



だからね、お母さんはもしかしたら…

私たちには見えない所で、お父さんの前では物凄く色っぽい所を魅せていたのかもしれません。

なんだかんだ言ってもお父さんは結局お母さんの元に帰ってきていたし
お母さんもお父さんの文句を言いながらも満更でもなさそうだったし

そのあたりは二人の秘密なのでしょう。

でもそれで良いのです。


お母さんは子供の前でセクシーになってはいけない。
セクシーな素振りも見せてはいけない。
自分にもセクシーな一面がある事を気取られてはいけない。

子供にとって、お母さんは聖なる存在であって、性なる存在では絶対にあってはならない。

母親になっても女の顔を忘れたくなければそれでも構わない。
でも、それを子供には絶対に勘付かせるな。

子供に勘付かれたら最後。
その母親は子供にとって不信感の塊でしかなくなるから。

そうして子供は心を閉ざすのです。
一度でも聖なる存在でなくなった母親は、ただの薄汚れた女。

もう母親だなんて思えなくなるの。
子供の心は大人が考えるよりもずっとセンシティブでデリケートなものなのだから。



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