はいどうも、中西です。


先日、アボカドを二つ買ったんです。

売り場には
「食べ頃になるまで4、5日ほどです」
との触書き。


みんなまだ皮が青くて固い。

その中から良さげなものを見繕って二つ、買いました。


そうして放置すること約一週間。

片方はすっかり皮が黒くなり、熟しているのがわかりますが、もう片方はまだ熟していません。

同じ条件で放置していたんだけどなぁ。

仕方ない。

熟した方だけ食べるとして、いまだに青くて固い方は、もう少し放置することに。


熟した方のアボカドは普通に美味しかったです。

スライスして、クレイジーソルトとオリーブオイルでシンプルに味わうのが好きです。


そして更に数日が経った頃

例のアボカドの様子見。

うーん、まだ熟さない。


これは一体…


一旦皮を剥いて中の様子を見ることに。


中身も普通に青くて固いままでした。

どういうことなんだろう。

ダメだナー、残念だけどもこれは捨てるしかないか…

と思った時に、天啓のように何かが閃いた。

「一寸待って。この子、捨てちゃいけない!!!」

そのとき私は、このいつまで経っても熟さないアボカドに強いシンパシイを感じた。

「見ていなさい。私がとても美味しい料理に仕上げてあげるからね。」

と、俄然燃え出す。

謎の闘志を燃やし始めました。

「熟れているから美味しい」という発想から離れるんだ。

この子は「熟れていないからこそ美味しい!」というところにフォーカスしてみましょう。

アボカド子ちゃん、私を信じるのです。

登場して戴くのは、まだ青いところがうっすらある、固くてみずみずしいトマト子ちゃん。

アボカドとトマトは均等な大きさに角切りにします。

そしてアンチョビーをフォークの背で軽くほぐして、アボカド・トマトと和えて、ヒマラヤのローズソルトとクレイジーバジルを振る。


ローストガーリックのチップを散らし、仕上げは熟していない若いオリーブを絞った、フレッシュなグリーンのオリーブオイル。

青々としてうっすら辛味を感じる。
完熟オリーブオイルにはない、パンチの効いた味わいが好きで、我が家ではオリーブオイルといったら専らこれ一択なのです。

…出来た!

できたてを一口味見。
これは料理人の特権です。

すごく美味しいのです。

何ともフレッシュな味わい。
ナウでヤングな味わいじゃ。

無理に熟したアボカドの味に近づけたり、熟したアボカドの味に似せるようなことをせず、熟していないからこその美味しさを引き出すために敢えてフレッシュに仕立ててみた。

出来栄えはまっこと上々なり。

家族の評判も上々。

「固いアボカドでも美味しく食べられるんだなあー♪」

「あのねっ、いつものやわやわでジュクジュクしてるやつ、あれ嫌いだけどこれはおいしいね♪」

良きかな良きかな。



…いつまで経っても熟さなかったアボカド子ちゃん、おまえは良いよね。
熟すことはなくても、上手に調理されて美味しく食べて貰えたんだから。

いつまで経っても熟さない事を責められることもなかったし
いつまで経っても熟さないからといって捨てられもしなかった。
(捨てられかけたけど)

熟した他の個体に無理に似せられた結果
「何じゃこりゃ」
とも言われなかったもんね。

私はおまえが羨ましいよ。

でもね、私は熟したくなんかないよ。
熟した体(てい)を装って偽装・擬態した私を「熟れて魅力的」と褒められてもほんの少しも嬉しくない。
むしろ心を鋭利な刃物でズタズタにされたような気分になる。

何故ならそれは本当の私ではないから。

と、心の奥底にあるひとつの思いを少しだけ言ってみる。